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2008年11月 2日 (日)

色彩は個人のものか

2008110201 昨日、紅葉を見に行ったと言う知人から、メールで送られてきた写真を見たことがきっかけで、今まで漠然と考えていたことを、ここにまとめて記す。この写真はその知人が写真を撮ったのとほぼ同時刻に、私が近所で撮ったもの。

写真や絵を見るとき、まず輪郭で捕らえる人と、まず色彩で捕らえる人がいる、と言うのが私の持論である。私は圧倒的に色彩で捕らえる方で、写真を撮るときも、「何が写っているか」よりも「どんな配色が美しいか」を考える。これはモノクロームでも同じことで、色彩が3次元(明度・彩度・色相)か、1次元(明度)かの違いだけである。

送ってもらった写真を見て、その知人も私と同様に、色彩で見るタイプだなと確信したわけであるが、では次に、どんな色彩を「きれい」と感じるか、というのが問題になってくる。よほどシュールレアリズムに傾倒していない限り、赤一色の絵とか、そういうものはないだろうから、ここではもちろん1枚の写真、あるいは絵の中に、どんなバランスで色彩がちりばめられたものを美しいと感じるか、ということである。ところがこれが実に普遍性がないのだ。他人に「これきれいだね」と言われても、なかなかピンと来ないことが多い。逆もまた然りで、私の写真の配色をきれいと思わない人も多いだろう。私はこの原因が、好みとか趣味の問題ではなく、目に写った色が、脳に何色として認識されるかという問題ではないかと考えるのだ。

色の違いを識別するのに、絶対的な色のパレットを持つ必要はない。相対的な色相の差を認識できればいいのだ。中学校の美術室にあった色相環を思い浮かべてもらいたい。あの中で純色の「赤」と「青」は120度の差があるが、「赤」と「青」が120度ずれていることだけ認識できれば、すべての人に共通な色認識は可能なのである。「この赤はやや青みがかかっているねえ」といえば、色相環において赤の位置から、10度ほど青側にずれた場所を示しているということになる。このときこの会話をしている二人の脳が、その色を「同一の色」として捉えている必要は全くないのだ。

ところが「美しさ」となると、まるで話は違ってくる。ある人には、「赤」と「やや青よりの赤」の配色が脳で認識されていたとして、別の一人には、同じ色が「青」と「やや緑よりの青」の配色と認識されているのだとしたら、話は噛み合うが、美しいとか気持ちいいとかいう感覚は共通のものではなくなってしまう。

だから、写真や絵を一緒に楽しむためには、先の「輪郭派」か「色彩派」かということのほかに、お互いが共通の色認識をしているか、ということがすごく重要な気がするのである。もちろんこの話には何の科学的根拠もないし、他人の脳で自分のソフトウェアを起動することでもしない限り、確認のしようがないので、単なる私の戯言であるのは言うまでもない。でも「コイツ、本当に俺と同じ色が見えているのか?」とか「おおっ、彼女はまさに俺と同じ色が見えている!」と感じることは少なくない。

誤解して欲しくないのは、目の黒い日本人と青い白人とでは色彩感覚が違う、という話とは全く別問題である。これは純粋に目のハードウェア的な差異である。私の話は、脳のソフトウェア処理の問題だ。

この話はここまで

さてこの話に関連して、というほどでもない、この話がきっかけで、もうひとつ普段から気にしている、色の話を。こちらは医学的には解明されているかもしれない。

人間の視神経は「赤」「緑」「青」の3原色に感度を持つ細胞で構成される。これらは「赤」なら「赤」だけに感度を持つのではなく、「赤」を中心とした前後の波長に、正規分布のような感度を持つのだ。そして3原色の細胞の感度は、お互いに重なり合っている。つまり、人間には「黄」に感度を持つ細胞はないが、「赤」と「緑」に感度を持つ細胞が、それぞれ少しずつ「黄」に感度を持つことによって、合成された「黄」を認識することができる。

ところが犬や猫はそうではない。犬は色を識別する視神経をほとんど持っていないらしいので、明るさしかわからない(最近は非常に弱い色彩感覚があると言われている)が、猫は色をしっかり認識することが知られている。ところが、猫の視神経には、「緑」に感度を持つ細胞と、「青から紫外線」に感度を持つ細胞の2種類しかないらしいのだ。

つまり「赤」から「オレンジ」にかけての感度がほとんどない。ということは、そういう色はほぼすべて黒く見えるということだ。そして、ここで問題は、輝線スペクトルを猫がどう感じるかと言うこと。

蛍光灯は人間には太陽光と同じ色に見える。ところが太陽光と同じスペクトルは持っていない。太陽光は赤外線から紫外線まで均一な分布を持ったスペクトルであり、人間の目にはこれらすべての色が混ざり合って、「白色光」に感じる。ところが、人間が「白」を感じるために、こんな贅沢な光は必要ない。「赤」と「青」と「緑」が同じ強さで混ざっていれば、人間には「白」である。そして白色蛍光灯というのは、まさにそういう、人間に「白」く感じられるように、複数の輝線スペクトルが混合されている。

その「赤」「青」「緑」を猫が見たらどうなるか。もうお分かりだろう。猫には「青から紫外線」と「緑」しか見えない。つまり白色蛍光灯は、この2色を混合した「かなり緑寄りのシアン」に見えるはずなのだ。陽が落ちてきたからといって、カーテンを閉め蛍光灯を付けると、猫にとっては緑から紫外線にかけて均一に拡がっていた(これが猫にとっての「白」)太陽光が、いきなり緑の強い光に変わってしまうはずなのである。

我が家の猫たちはそれに文句は言わないが、もしかしたらすごく我慢しているのかもしれない。

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コメント

大変よい勉強になりました。
私は色彩派です。

投稿: めぐみ | 2008年11月11日 (火) 16時47分

そういえば、「黒色の服しか着ない」と言われてから、黒色が苦手になった。
今は薄いピンクが好き。

投稿: めぐみ | 2008年11月11日 (火) 16時53分

色彩豊かな服装をすれば、こころも色彩豊かになってきませんか。
そうなると、鮮やかな色の中での黒もまたいいと思います。

投稿: 内藤敦司 | 2008年11月11日 (火) 23時42分

返事が遅くなって、すみません。
確かにそうですね。先生は美術の先生みたいですね。色彩と人間の心は関係があるのだと思う。・・・コメントに対する返事を、丁寧に書いてくれて、有難うございますo(*^▽^*)o

投稿: めぐみ | 2008年11月19日 (水) 09時00分

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