« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »

2008年11月28日 (金)

KURUTOGA

2008112801筆圧によって芯が少しずつ回転し、常に一定の太さで書き続けられる、ハイテクシャープペンシル。

子供の頃から字が下手だったし、社会人になると、仕事柄鉛筆で文字を書くことがほとんどなくなった。どうしても手書きしなければならない書類は、ボールペンが必要だろうし、家にいるときはほぼ間違いなくパソコンの電源が入っており、外出時にはスマートフォンを持ち歩いているので、自分でも読めるかどうか怪しい手書きのメモを残すよりは、キーボードから文字を入力した方が速いし確実なのである。だからますます字が書けなくなるのだ。

しかし、それだけに筆記具に対するコダワリが強い。モンブランの万年筆なんかより、特にハイテク筆記具に弱いのだ。

まさにこれなどは、スーパーの文具売り場で見た途端にめまいがした。0.5mmのシャープペンシルで、1mmくらいの線が引けてしまったときの苛立ちは、誰でも経験したことがあるだろう。これならそんな苦労は一気に解決である。

で、使ってみた感想はというと、

子供の頃、建築家だった父親に、うるさく言われたものだ。「鉛筆は廻しながら使え」と。今も父親が生きていたら、こんなものを買ったバカ息子を、再び怒鳴りつけたに違いない。

「鉛筆は自分で廻せ」と。

| | コメント (2)

2008年11月26日 (水)

冬ネコ発見

2008112601久しぶりに懐かしいネコに出会った。冬になると神社で散歩している美人ネコである。前回のブログに書いて以来なので、調べてみたら、なんと2007年1月。つまりほぼ2年ぶりの遭遇だ。

夕方神社の前を歩いていると、境内から私を呼ぶ大きな声が聞こえる。まさかと思って境内に入ってみると、やっぱりこのネコだった。2年も会っていなかったのに、ちゃんと覚えていてくれたか。私が近づくと、走ってきて頭突きで挨拶し、それから全身でスリスリして離れない。写真を撮ろうと思って、ちょっと距離をあけても、すぐに擦り寄ってくるのだ。

しかし、私が立ち上がって「バイバイ」と言うと、もうそれ以上は追いかけてこない。ちゃんと人間の言葉や行動は理解しているようだ。

残念ながら携帯電話しか持っていなかったので、こんな写真しか撮れなかったが、以前より一回り大きくなって、コロコロしている。7年以上もここで見かけるし、言葉をちゃんと理解しているところから、どこかの飼い猫であるのは間違いないが、なぜ寒い冬の夕方にならないと、この子は散歩しないのだろう。

| | コメント (0)

2008年11月23日 (日)

白色LEDの苦悩

2008112301毎年恒例の名古屋駅前のイルミネーション「タワーズライツ」を、今年も撮影してきた。Nikon D300 なら ISO1600 くらいまで躊躇なく使えるので、ISO 感度自動設定で、最低シャッター速度を1/30秒にして、光量を気にせず撮ることができた。

しかし問題は、光源である。省エネのためか(だったらイルミネーションなどいらないと思うが)、最近の大規模なイルミネーションは、どこも発光ダイオードである。ところが、今年のタワーズライツは、ほとんどが白色 LED で、強力な明るさで人間を照らすのだ。

2008112302白色 LED の色温度は高い。およそ太陽系には自然に存在し得ない青白さである。白色矮星が天から降ってきたかのようだ。この白色 LED の雰囲気を出すために、カメラのホワイトバランスを、あえて昼光色に設定すると、LED に照らされた人間の顔は、まるでゾンビのよう。これだけの人出があると、まさにバイオハザードの世界だ。

2008112303一緒に見に行った奥さんと義妹の写真を撮ろうと思ったが、フラッシュを弱めに焚いて、ミックス光にすると、あまりの色温度の違いに、両側からカラースポットライトを当てたようになってしまう。今年はポートレートはあきらめた。

| | コメント (4)

2008年11月22日 (土)

NGカット

20081122013連休の初日、あまりにも天気が良かったので、いつもなら車で行く安城市歴史博物館に、自転車で行ってきた。さすがに帰りはかなり寒くなったが、それはそれでいいものだ。

持っていた COOLPIX で、見事な紅葉の写真を1枚、と思っていたのだが、帰ってリサイズしてみると、なんとど真ん中にゴミ箱が...

一眼レフのファインダーを覗いていたら、絶対に気付いていただろうけど。この辺りがまだ液晶モニタのダメなところだな。もちろん肉眼で確認しなかった私のミスではあるけれども。

| | コメント (0)

2008年11月20日 (木)

スタッドレスは必要か?

19歳の時に免許を取って29年。社会人になって自分の車を買い、通勤で使うようになって(勤務地の関係で週末にしか乗らなかった時期も数年あるが)25年。総走行距離は30万kmを越えているだろう。(航空機パイロットの経験は飛行時間で計るのに、なぜ自動車免許は取得後年数なのか未だ不明)

ところがこの30万kmで、私は一度も雪対策をしたことがないのだ。つまりチェーンもスタッドレスタイヤも使ったことがない。

もちろん免許取得後の生活は、ほとんど愛知県の平野部だったので、通勤の障害になるような降雪は、せいぜい年に2~3回。その程度の地域では、当然私同様雪対策をしていない車が多いために、雪が降れば自分がどれだけ対策をしていようとも、道路は大渋滞でノロノロ運転。パトカーが大量に出動し、幹線道路の先頭を走って、速度を抑えてくれることも多い。

というわけで、この地方では雪が降れば、十分仕事に遅れる言い訳になるのだが、だからといって、雪対策をしなくても良いことにはならない。もちろん雪が降れば休日は外出しないと決めておかねばならない。もちろん楽しみにしていた休日の外出が、雪のおかげでキャンセルになった、などということは1年に1回あるかないか、という程度なので、そのためだけに冬の間だけスタッドレスタイヤを履いて、ほとんど毎日、雪のない路面で悪い乗り心地を我慢するのは、無駄なことだともいえる。

しかし考え方を変えれば、その我慢は保険でもあるわけで、保険とはそもそもかけ捨てるものなのだから、1年に数回の危険回避のために、普段少し我慢することは、無駄なことではないともいえる。ただ、外出を我慢すればいいだけの話にしては、スタッドレスタイヤを4本用意しておくコストは高くつく。そう考えて、今までは保険を無視してきた。

ところが今年は少し状況が違う。夏のブログに書いたように、私はタイヤを標準装備の15インチから16インチに換えた。ホイールはオークションで1本あたり千円程度で買ったものだ。そのため、我が家の地下倉庫では、現在15インチのホイールが4本余っている。だからスタッドレスタイヤを用意するコストは、タイヤ4本分の代金とバランス料だけで済む。ちょっと調べてみると、これがまたチェーンを2本用意する金額と大して変わらない。

というわけで、今年の冬は人生で初めて、スタッドレスタイヤを用意してみようかな、と現在悩み中なのである。速度表示が V から Q になってしまうのがちょっと不安だったが、メーカのホームページを検索したら、Q の最高速は160km/h。まあ伊勢湾岸自動車道で最高速を試したりしない限りは、スタッドレスでも普通に高速走行できそうだし。

| | コメント (0)

2008年11月13日 (木)

ETC 初体験

長年の沈黙を破って、ついに ETC 導入。

通販で本体を購入、セットアップしてもらい、自分で設置したので、今日動作確認のために、伊勢湾岸道路をテスト走行した。改めて思ったのだが、あそこを減速せずに通過するヤツは、ただのバカだな。私は20km/hでも恐怖を感じた。カードが正しく認識されており、ETC 本体とゲートのアンテナが正常に通信しており、車両が正しく認識されたとしても、ゲートが絶対に開くという保証は、絶対にないのだ。なぜなら、故障しない機械というのは、絶対にあり得ないのだから。

ETC のあり方については、私は完全に反対で、それゆえ自分は導入しないと決めていたのである。そもそもインターチェンジの渋滞緩和、人員削減が目的なら、ETC 利用者を割引するのは意味がない。ETC を無料配布して、全国の料金所を一斉に無人化し、ETC を利用しなければ通行できないようにすべきなのである。ETC と現金支払いが混在するということは、ETC のみの場合だけでなく、現金支払いだけの場合よりも経費がかさむ。その上 ETC 利用者に割引を適用するくらいなら、ETC 本体を無料配布する費用など知れているではないか。

もちろんそんな正論は誰だってわかっている。ETC によって発生する、あらゆる「手数料」と言うヤツが、どこかに流れ込んでいるのだ。そして、この流れを止めるためには、ETC を使わないことしかない。

そんな私のささやかな抵抗だったのだが、ちょっとした私自身の心境の変化で、「ETC 使った方がトクじゃん」と思うようになり(そんなことはわかりきっていたのだが)、とりあえずクレジットカード会社に、先週 ETC カードの発行を申し込んだ。

そして、知り合いの20歳の女の子の「ETC 使った方がゼッタイにいいですよぉ! o(^ ^)o」のひとことで、「うん、そうだね」と、あっさり48歳の男の信念は折れてしまった。

まあ、信念なんてそんなもんですが。

| | コメント (0)

2008年11月12日 (水)

まだマイクロフォーサーズには手を出せない

マイクロフォーサーズが結構売れているらしい。とはいっても、現時点でカメラは実質1機種しかないので、マイクロフォーサーズだから売れているのか、パナソニックの商品企画が成功したのかは判断できないが。

私はフォーサーズには非常に興味はあるが、今のところ、これ(Panasonic LUMIX DMC-G1)に手を出すつもりはない。理由をいくつか上げると、

・値段が高い。ダブルズームキットが EOS Kiss X2 や Nikon D60 よりも高いのに、カメラのポジションが不明。

・大きさが中途半端。レンズ交換式である限り、いくらフランジバックを短縮しても、コンパクトデジタルのようにはならないし、G1 に関して言えば、必要以上にコンサバティブなデザインにこだわりすぎ。

・現時点では、EVF は総合的に、光学ファインダを超えられない。もちろんピントあわせはしやすいだろうが。

さらに心情的に使いたくない理由があり、実はこれが一番の問題。パナソニックはこのカメラを一眼「レフ」ではないから、「デジタル一眼」だと主張しているが、そういうリクツから言えば、光学ファインダーのないほとんどのコンパクトデジタルカメラは、すべて「デジタル一眼」になってしまうではないか。

富士フイルムが、一眼レフのようなカタチをしたコンパクトカメラを「ネオ一眼」と銘打って、まるで普通のコンパクトカメラとは、性能が違うかのような錯覚を起こさせる手口で販売していることに対するものと同様のあざとさを感じるのだ。しかも G1 も明らかに「一眼レフ」をモチーフとしたデザインを採用しており、一眼レフの経験がない顧客が、「デジタル一眼」の定義を、この(一眼レフのような)カタチにあるのだと勘違いしてしまうことを狙っているような気がしてならない。そうなると、マイクロフォーサーズの真打となる、オリンパスのカメラ(デザインはほとんどコンパクトカメラだ)が市場に出たとき、その(ペンタプリズム風トンガリ頭のない)カタチをみて、こちらの方が下級ランクだと思い込み、結果として値下げせざるを得ないようなことにならなければいいのだが。

市場価格を維持するために、数年後に発売されるマイクロフォーサーズが、すべて G1 のような「一眼レフ」風なスタイルになってしまうのではという懸念があるのだ。

| | コメント (0)

2008年11月 4日 (火)

D300 ファームウェア Ver1.10

10月28日にアップデートされた、Nikon D300 の最新ファームウェア Ver1.10 を導入した。

変更点は多岐にわたり、追加のマニュアルまで出ているので、これはバグフィックスと言うより、機能拡張である。主な変更点としては ISO 感度自動設定時の、シャッター速度下限値の選択範囲が広がったこと。オートホワイトバランスの精度が上がったこと、ライブビュー時のコントラスト AF 速度が上がったことなどである。

2008110401ISO 自動設定は滅多に使わないし、オートホワイトバランスの精度は、なかなか比較しにくいので、私としてはコントラスト AF の速度向上がどれほどのものか、非常に興味があった。

D90 のコントラスト AF が、D300 のものより格段に速かったので、これはハードウェアが別物だろうと考えていたのだが、どうやらそういうわけでもなさそうだ。今回のファームウェアで、D300 も D90 と同じくらい高速化されている。以前のファームウェアでは、ウィーン、カッ、カッ、カッという感じの動きだったものが、新しいファームウェアでは、ウィーカカカカッ という具合である。明らかにモータ作動と作動の間の、コントラスト比較演算処理時間が短縮されている。やはり AF 速度を決定付けているのは、ソフトウェアの方だったようだ。CPU が変わったわけではないので、アルゴリズムが改善されたのだろう。こういうのは、メーカも試行錯誤しながら開発しているだろうから、後から出来上がったものの方が高速なのは当然だ。

2008110402現代のカメラはハードウェアに要求される機能は少ない。複数のメカニズムがシーケンシャルに動作することは稀で、非常にプリミティブな機能だけを実装し、あとはソフトウェアで制御されている。ソフトウェアはそういう単純なメカニズムのオーバーシュートの時間まで考慮した、予測制御をしなければならない。この辺りをコツコツやっていて、完成した制御ソフトを、もう一度全体を見直すと、往々にして省略できる冗長な処理が、随分見つかるものだ。D90 では、D300 の発売から1年かけて、そういったところを徹底的に見直したのだと思われる。そして、今回はそれを D300 にフィードバックしたということだろう。

こういうのを「煮詰めが甘い」と批判する声もあるだろうが、1年前に D300 は発売されるべきだったし(私が買ったのは1か月前だが)、それから1年後、カメラが性能向上するのなら、それを喜ぶべきだろう。

| | コメント (0)

2008年11月 2日 (日)

色彩は個人のものか

2008110201 昨日、紅葉を見に行ったと言う知人から、メールで送られてきた写真を見たことがきっかけで、今まで漠然と考えていたことを、ここにまとめて記す。この写真はその知人が写真を撮ったのとほぼ同時刻に、私が近所で撮ったもの。

写真や絵を見るとき、まず輪郭で捕らえる人と、まず色彩で捕らえる人がいる、と言うのが私の持論である。私は圧倒的に色彩で捕らえる方で、写真を撮るときも、「何が写っているか」よりも「どんな配色が美しいか」を考える。これはモノクロームでも同じことで、色彩が3次元(明度・彩度・色相)か、1次元(明度)かの違いだけである。

送ってもらった写真を見て、その知人も私と同様に、色彩で見るタイプだなと確信したわけであるが、では次に、どんな色彩を「きれい」と感じるか、というのが問題になってくる。よほどシュールレアリズムに傾倒していない限り、赤一色の絵とか、そういうものはないだろうから、ここではもちろん1枚の写真、あるいは絵の中に、どんなバランスで色彩がちりばめられたものを美しいと感じるか、ということである。ところがこれが実に普遍性がないのだ。他人に「これきれいだね」と言われても、なかなかピンと来ないことが多い。逆もまた然りで、私の写真の配色をきれいと思わない人も多いだろう。私はこの原因が、好みとか趣味の問題ではなく、目に写った色が、脳に何色として認識されるかという問題ではないかと考えるのだ。

色の違いを識別するのに、絶対的な色のパレットを持つ必要はない。相対的な色相の差を認識できればいいのだ。中学校の美術室にあった色相環を思い浮かべてもらいたい。あの中で純色の「赤」と「青」は120度の差があるが、「赤」と「青」が120度ずれていることだけ認識できれば、すべての人に共通な色認識は可能なのである。「この赤はやや青みがかかっているねえ」といえば、色相環において赤の位置から、10度ほど青側にずれた場所を示しているということになる。このときこの会話をしている二人の脳が、その色を「同一の色」として捉えている必要は全くないのだ。

ところが「美しさ」となると、まるで話は違ってくる。ある人には、「赤」と「やや青よりの赤」の配色が脳で認識されていたとして、別の一人には、同じ色が「青」と「やや緑よりの青」の配色と認識されているのだとしたら、話は噛み合うが、美しいとか気持ちいいとかいう感覚は共通のものではなくなってしまう。

だから、写真や絵を一緒に楽しむためには、先の「輪郭派」か「色彩派」かということのほかに、お互いが共通の色認識をしているか、ということがすごく重要な気がするのである。もちろんこの話には何の科学的根拠もないし、他人の脳で自分のソフトウェアを起動することでもしない限り、確認のしようがないので、単なる私の戯言であるのは言うまでもない。でも「コイツ、本当に俺と同じ色が見えているのか?」とか「おおっ、彼女はまさに俺と同じ色が見えている!」と感じることは少なくない。

誤解して欲しくないのは、目の黒い日本人と青い白人とでは色彩感覚が違う、という話とは全く別問題である。これは純粋に目のハードウェア的な差異である。私の話は、脳のソフトウェア処理の問題だ。

この話はここまで

さてこの話に関連して、というほどでもない、この話がきっかけで、もうひとつ普段から気にしている、色の話を。こちらは医学的には解明されているかもしれない。

人間の視神経は「赤」「緑」「青」の3原色に感度を持つ細胞で構成される。これらは「赤」なら「赤」だけに感度を持つのではなく、「赤」を中心とした前後の波長に、正規分布のような感度を持つのだ。そして3原色の細胞の感度は、お互いに重なり合っている。つまり、人間には「黄」に感度を持つ細胞はないが、「赤」と「緑」に感度を持つ細胞が、それぞれ少しずつ「黄」に感度を持つことによって、合成された「黄」を認識することができる。

ところが犬や猫はそうではない。犬は色を識別する視神経をほとんど持っていないらしいので、明るさしかわからない(最近は非常に弱い色彩感覚があると言われている)が、猫は色をしっかり認識することが知られている。ところが、猫の視神経には、「緑」に感度を持つ細胞と、「青から紫外線」に感度を持つ細胞の2種類しかないらしいのだ。

つまり「赤」から「オレンジ」にかけての感度がほとんどない。ということは、そういう色はほぼすべて黒く見えるということだ。そして、ここで問題は、輝線スペクトルを猫がどう感じるかと言うこと。

蛍光灯は人間には太陽光と同じ色に見える。ところが太陽光と同じスペクトルは持っていない。太陽光は赤外線から紫外線まで均一な分布を持ったスペクトルであり、人間の目にはこれらすべての色が混ざり合って、「白色光」に感じる。ところが、人間が「白」を感じるために、こんな贅沢な光は必要ない。「赤」と「青」と「緑」が同じ強さで混ざっていれば、人間には「白」である。そして白色蛍光灯というのは、まさにそういう、人間に「白」く感じられるように、複数の輝線スペクトルが混合されている。

その「赤」「青」「緑」を猫が見たらどうなるか。もうお分かりだろう。猫には「青から紫外線」と「緑」しか見えない。つまり白色蛍光灯は、この2色を混合した「かなり緑寄りのシアン」に見えるはずなのだ。陽が落ちてきたからといって、カーテンを閉め蛍光灯を付けると、猫にとっては緑から紫外線にかけて均一に拡がっていた(これが猫にとっての「白」)太陽光が、いきなり緑の強い光に変わってしまうはずなのである。

我が家の猫たちはそれに文句は言わないが、もしかしたらすごく我慢しているのかもしれない。

| | コメント (4)

« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »